「終わりっと」
ズバットが空を飛び回る夜。本日の課題をやり終え、シャーペンを放る。
後ろに大きくのけ反り伸びをする。
ポキポキポキ
あちこちの間接が音を立てるのがなんとも気持ちいい。
そのまま頭を反らし部屋の隅を見ると、
布が敷き詰められたバスケットの中でイーブイがぐっすりと眠っていた。
「自由でいいなぁ、お前は」
つぶやいてから体を起こす。
デスクのライトを切り、音を立てないようにゆっくりとベッドに移動する。
「おやすみ……」
眠っているイーブイに一応言って、目を閉じた。

先ほどまでフル回転していた頭が少しずつ活動を沈静化させ、
意識もだんだんとぼやけ始めた頃。
「いぃぃぃやっほぉぉぉぉぉぉ!」
「おわっ!」
謎の奇声が響き、飛び起きる羽目になった。
「な、何だ?」
視線をあちこちに飛ばし、状況の把握に努める。
快眠していたイーブイも起き上がりキョロキョロと首をせわしなく動かしている。
スパーン!
「オレンジ、起きぃ!今から学校いくでぇ!」
勢いよくドアを開け、近隣の迷惑を考えない声量で叫ぶルームメイトがそこにいた。
「…………は?」
「『は?』やないぃ!いいアイデア浮かんだんや!もたもたすな!」
マサキは俺に駆け寄ると腕を引っつかみ、ベッドから引きずり落とした。
「お、落ち着け!マサキ!全く状況が掴めない!」
「道中ゆっくり説明したる!」
きょとんとしたイーブイが見つめる中、
そのまま腕を引っ張られ無理やり外に連れ出された。

 

「で、研究中のことでアイデアが浮かんだから手伝えと?」
「せや」
校舎のすぐそばの植え込みを掻き分けながらマサキは答える。
「この時間に?」
「せや」
おそらくもう日付が変わってしまっているだろう。
「じゃあ何でこの時間に?」
「昔から眠りかけのときこそいいアイデアが浮かぶもんやろ? で、思いついたが吉日」
「へー……」
びっ、と親指を立てるマサキ。
だから、学者さんはベッドの近くにメモ帳を置くもんだよな……もう何も言わないけど。
マサキは研究のことになると周りが見えなくなるから……あきらめよう。
そして、楽になろう。
「さ、おしゃべりはここまでにしてそろそろ行こか」
と、藪の中から取り出した黒いポリ袋を俺に突き出した。
「何だこれ?」
「シルフスコープ。この時間、校舎の中には理事長が放しとるゴーストポケモンがおるからな。
 用心して進まな、すぐに御用や」
なんでそれを知っていて、こんなもの用意できたのかという疑問は捨てることにしよう。
「ほな、行くで」
シルフスコープをかぶり、『何故か』鍵がかかってない窓から校舎に入るマサキ。
どうか友人が最後の一線を越えないことを祈りながら後に続いた。

 

「右に障害2。左大丈夫か?」
「左、障害1……通過、オールクリア」
低い体勢を維持し階段をのぼりきり、踊り場から廊下の様子をうかがう。
シルフスコープを頼りに慎重に進む寝巻き姿の男二人……捕まったらアウトだ。
いろいろなものがアウトだ。
「邪魔くさいなー、あいつら……この廊下を突っ切れば研究室に入れるっちゅうに」
はがゆそうにするマサキ。
見るとゴースが二匹同じ場所をぐるぐると巡回している。
「前よりも、研究室の警備固めよったな……」
……何も聞いてないぞ。俺は何も聞いてない。
「……おとなしく別ルート探した方がいいんじゃないか? っと……左、障害1。……通過」
どうやらこっちにいるゴースはやや広めのコースを巡回してるようだ。
「却下。ここがこれだけ固められて他が手薄とは考えにくい。
 ……オレンジ。そっちのゴースが来る周期わかるか?」
「ちょっと待ってろ」
ゴースが通る地点に目を凝らす。
一回目通過。
…………二回目通過。
………………三回目通過。
………………四回目通過。
…………五回目通過。
「大体、四十秒くらいだな」
「了解や。……なら、大丈夫やな」
「どうするんだ?」
ここはベテランの経験と知識に頼るしかない。
「とりあえずそっちにゴースが来たら合図してくれ。その後、息を止める。
 で、ワイが走り出したらついてきたらええ。そんときも息は止めるんやで」
「……了解」
そんな大雑把な説明に不安がないわけでもないが、
それよりもここにじっとしていることの不安の方が大きかった。
一度深呼吸をして気分を落ち着かせる。
ふともう一度マサキを見ると、ポケットから薬包紙を折りたたんだものを取り出した。
……忘れよう。何が起こっても俺は知らなかったんだ、うん。
再度、深呼吸。
そして、廊下の向こうへと意識を集中する。
……来た。
ゆっくりと右手を上げ合図を送り、息を止める。
それを確認し、マサキが先ほどの薬包紙を広げ息を吹きかけると粉が舞い散った。
一呼吸の間をおいて一気に駆けるマサキ。
それに遅れないよう走り出す。
体勢は低く、足音も立てず、何よりも早く!
床に落ちて動かなくなったゴースの横を過ぎ、
廊下の突き当たりのドアにマサキが鍵を刺し開く。
そこに体を滑り込ませると、マサキもすぐに入りドアを閉めた。
「すぅ〜〜〜〜〜〜はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
その場にへたり込み、二人同時に大きく息をつく。
なんかどっと疲れた。


ほんの僅かな休憩の後、マサキはペンライト片手に研究室にあった機械をいじり始めた。
二つの大きなカプセル、それらを繋ぐいくつものコード類。
一見して何に使う機械なのかはわからない。
「よっしゃ、これでいけるやろ!」
パネルを閉じて、部屋の隅のパソコンに向かうマサキ。
「これ、何の機械なんだ?」
マサキが操作するモニターをのぞいたが意味不明な文字が並んでいて、さっぱりわからない。
「転送装置や。片方のカプセルにいれたもんをもう片方に一瞬で送れる……予定の装置や」
「予定なんだな」
「一方からだけなら何とかなるんやけど、相互にやるとどうしても不具合がなぁ……。
 やけど、さっきの調整できっといけるはずやで!」
「期待してます」
親指を立てて、目を輝かせるマサキに言葉だけを返す。
「……よっしゃ、起動準備完了。でてこいベロリンガ」
ポンッと音を立ててボールからベロリンガが出てきた。
……何をする気だ、こいつ。
「さ、いい子やからこの中入ってなー」
ベロリンガをカプセルに誘導し、その扉を閉めるマサキ。
「じゃあ、オレンジ、ワイが反対側のカプセルに入ったらEnterキー押してくれ」
「なぁ、こういうのは物で試してから生き物で試すものじゃないのか?」
「ワイの理論に間違いはあらへんよ」
いちいち指を立てるな。
「何が起こっても知らないからな」
「りょーかい、りょーかい。ほなまた後でー」
言いながらマサキはカプセルに入っていった。
まぁ、いい。これで気が済むのならやってやる。
今、終わらせればまだ三時間は眠れるはずだ。
遠慮なく、押す!
カタッ
キーを押すと同時に唸る起動音。でかい起動音。
「おいおい……これでばれたら、今までの努力って……」
カプセルの内部がくり返しフラッシュし、コードがアーボのようにのたうつ。
こういうのが素直にかっこいいと思う俺も男の子だなぁ……
軽く現実逃避をしているうちにだんだんと機械の動作が落ち着いてきた。
そして、先ほどベロリンガが入っていったカプセルが開き……普通にベロリンガが出てきた。
「失敗か……マサキー早くここから抜け出すぞ」
ベロリンガの前を素通りし、マサキがいるであろうカプセルに向かう。
「やあ!ぼく、ポケモン!」
と、背後から快活な声が聞こえた。
……いや、俺の後ろには誰もいないはずだ。そんなわけがない。
「って、ちゃうわ!」
ブリキ細工のようにゆっくりと後ろを向く。
「おーい」
そこには右手を元気よく振るベロリンガの姿があった。
「……」
「わいや、マサキや。わかるかー?」
わからねぇよ。
「面白いことに精神だけが転送されたようやな」
短い腕で腕組みしてうんうんと頷くベロリンガ。
「……マジか」
「ベロリンガがしゃべると思うか?」
「まあ……無理だな」
「とりあえず、理解せんでいいから現状を受け止めや」
この無茶な言いぶりは、マサキっぽいがなぁ……
「しっかし、ポケモン視点で見る世界ちゅうのは面白いなー。
 生態研究なんかにもこの技術は使えそうやし」
あー、マサキっぽい。転んでもただで起きないところがマサキっぽい。
「……大丈夫なのか?その……元に戻るのは?」
「たぶん、もっかい装置に入れば戻るやろな」
ひとまず安心しよう。このカオスに終わりがあることに。
「それじゃあ、さっさと元に戻ってここから……」

 

「むりだよ、お兄ちゃん♪」
研究室の扉からかわいらしい声がかぶさってきた。
瞬間、冷たい何かが背中をぞぞぞっと這い上がってくる。
「あれだけでかい音を立てておいて、同じ場所に居座るとは肝が据わっとるのぉ」
声はそのままで、今度は落ち着いた口調で彼女は言う。
「夜間、校舎への侵入。さあ、どうしたものかのぉ、マサキ」
「ヴ、ヴェー?」
投げつけられた質問に、頭を抱えてとぼけるベロリンガ。
……それはコダックだ、マサキ。
「とぼけんでいいぞ。先ほどまでの会話を聞かせてもらったからのぉ」
「……」
ベロリンガの顔から血の気が引いていく。
「まぁ、生徒の自主的な学問への探求を罰するのは後味がいいものではない」
「え、じゃあ……」
唐突に目の前に落とされた救いに思わず反応する。
「かわりにしゅくだいで〜す♪」
直後、第六感が警報を鳴らす。
「ポケモンを持つものはポケモンの気持ちを理解せねばならん。わしの生徒なら尚更な。
 ちょうどよい機械があることじゃし、一週間ポケモンとして過ごし、
 ポケモンの気持ちをしっかり理解してくることじゃ」
「え〜っと……今、自分パートナーがいないんですが……」
逃げ道を必死に模索する。
「では、わしの観賞用ヤドンを特別に貸してやろう」
少女の手から投げられたボールからヤドンが飛び出した。
「なかなか良い育ちをしておるじゃろ?」
「異議有り!ここはやはりパートナーであるイーブイでないといけないと思います!」
掘ってしまった墓穴のなかであがく。あきらめたら終わりだ!
「では、一ヶ月の謹慎処分がいいのか?」
「……」
「理事長キクコが命じるぞ。ヤドンになれ」
最後は力業ですか……
「ようこそ、ワイの世界へ」
このベロリンガはキレイな目をして何を言ってやがる。
ああ、ちくしょう……だんだん……目の前が白く……真っ白に染まっていく……
「安心してね、ベロリンガにヤドン。
 その間マサキとオレンジ、イーブイの世話はみんなできちんとやるから♪」

 

 

 

我輩はヤドンである。
名前は……昔はあった気がするが、忘れてしまった。
まぁ、そんなことは些細なことにすぎない。
「オレンジ!ヤドンに染まったらアカン!あと三日耐えるんや!」
傍らのベロリンガが私を揺さぶるが、あまり気にはならない。
「中身がヤドンの自分が学校で晒しもんなった辛さはわかる!
 毎日、小等部の子らから『まぬけー』言われる苦しみもわかる!
 やけど、ここでお前がヤドンになったらカスミはどないする!?
 ナツメちゃん、エリカ先輩はどうなるんや!」
叫んで息が乱れる彼の顔をじっとみる。
「……」
「はぁはぁ……」
「……すまないが、もっと短くいってくれないか? 長文は理解できないんだ」

 


ヤドンEND

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