◆kHw9hXhuzk

作品1

 

 

「ハァハァ……」


日の傾いた午後5時20分過ぎ、茜色が差し込む廊下を全力疾走する無法者が一人。


「ハァハァハァ……」


そいつはただのうっかりさんだった。
今日の5時半に提出しなければいけない理科のレポートを、どうやら化学実験室に忘れたらしい。
授業が終了したあとに出そうと思っていたのだが、それすらを忘れて教室へと帰ってしまったのだ。


「あーあ、俺の大馬鹿!」

      
もちろん、そのうっかりな無法者はもちろん俺――オレンジである。
今回はのレポートは自分でも会心の出来だと自画自賛していたが、提出期限に間に合わないのならば全てが水のあわになってしまう。
そんな事には絶対にさせない!
心臓が悲鳴を上げようが、俺には一心不乱に前進あるのみだった。


「まだ、まだ早く走れる!」


刻々と迫る5時半。理科の先生はありえないほど時間に厳しいのだ。秒単位できっちり計ってくる。
右腕の時計に目を落とすと、残された猶予は短針の角度たった30度ぶんしかなかった。
ここから目的地までは約1分、そこから職員室へ行くのはだいたい3分はかかるだろう。
それならばレポートを探す時間は30秒はあるな。


「ここを抜ければ……」


一般棟の最終コーナーを曲がり、理科棟へと続く渡り廊下を駆け抜ける。
戸締りを忘れたのか、理科棟の大きな扉は開け放たれていた。なんて好都合なんだ。
俺はもつれそうになる足を必死に動かしながら理科棟へと侵入する。
目指す部屋は四号室。理科棟を入って6つ目の部屋だ。
一号準備室……一号実験室……準備……実験……準備……実験……準備……着いた! 四号実験室!
俺は目の前に現れた木製の引き戸を、ガラリという音と共に引いた。




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「探し物はこれですか?」


やっとの思いで目的地に着いて、レポートを探そうと思っていた俺の目と鼻の先にそれは差し出された。


「……へ?」


確証はないが少しの間……だと思う。俺は身動き一つできないでいた。


「あれ……違います?」


俺に向かって突き出されている物は、確かに俺のレポートで間違いない。
しかしそれを差し出してるのが、全てを見破っているような透き通った瞳の、可愛い――いや、美しい女の子だった。


「あの、オレンジ先輩?」

「あ、ああ! これだよこれ! ありがとう!」


見とれていた所に声をかけられ、寝耳に水とばかりにあたふたしながらもレポートを受け取る。
1枚、2枚……良かった。全部揃ってる。
はぁ。これで何とか期限には間に合いそうだ。
ってちょっと待て


「君、初対面のはずなのにどうして俺の名前を知ってる? 
 いや、何故俺がここに来る事がわかったんだ? 
 しかも目的までわかってなかったか?」


俺は不可思議な女の子に向かって、矢継ぎ早に質問を浴びせる。
だってそうだろう? 俺はこの女の子は一度たりとも見たことがない筈だ。たぶん。
こんな綺麗な子だったら忘れらるはずがないんだ。
そして彼女の方はというと、表情すら変えずにこんな事を言うのだった。


「先輩がここに来る事は今日の昼頃から判っていたことだったんで。レポートは実験のついでに探しただけです」


オーケー。俺よ、落ち着いて考えよう。
初対面の俺の名前を当てて、しかも先輩とすら見破った(?)点について。
こんなこと普通の人間にはできるはずない。ましてや年齢なんてそうそう見抜けるもんじゃない。
よってエスパー。
次、俺がここに来る事が判っていた点について。
レポートを忘れた事に気がついたのは、一旦寮に帰った後。マサキにレポートの事を聞かれたからだ。
これを知っているのはマサキと俺だけだ。他の人間は断じて知っているはずがない。
よッてエスパー。
最後、俺がここに来た理由がレポートだとわかっていた件について。
さっきの返答では、俺が来る事が判っていてレポートを探したように言っていた。
仮にレポートを先に見つけていたとしても、今この部屋に入ってきたのがレポートの持ち主であるなんて彼女にはわかるはずがない。
よってエスパー。
よし、考察終了。質問に移行する。


「君、エスパーだろ?」


考察の勢いでわけのわからないことを口走る俺。
エスパーなんて存在するわけないじゃないか。
さあ、今から走ればまだ期限には間に合うはずだ。
さっきの発言は適当に誤魔化して職員室へ急ごう。


「よく分かりましたね。ご察しの通り、私はエスパーです」

「やっぱりなー。エスパーなんて存在しない……え? 何だって?」

「ですから、ご察しの通り私はエスパーです」


俺は我が耳を疑った。
今この子は何と言った? 自分はエスパーだと言ったのだ!
普通の人間ならスルーする所なのだろうが、寸刻前に見せられた奇芸によって俺には信じるという選択肢しか残されていなかった。


「ははは……本当にエスパーだったんだ。信じられないなあ」

「しかしこれが現実です。。
 ちなみに先輩、もう5時半まで1分しかないです」

「うわっ。あんなに走ってこのザマかよ! 俺は今からでも急いで戻る! じゃあありがとうな!」


何故か俺の中には、まだ彼女と話がしたい感情が芽生えていた。
だが、ここまで来て俺のガンバリを不意にすることには出来ない。
職員室まで3分かかるところだが、本気で走れば1分でいけないこともない……と思いたい。
俺は彼女に踵を返すと職員室へと走り出す――


「待って下さい」

「うげっ!」


予定だったが、急に後ろから襟首を掴まれた。
走り出そうとした瞬間に引き止められたもんだから首が絞まるような格好になってしまい、変な声を上げてしまう。


「な、何するんだ。こんなことしてる間にも時間は過ぎているんだぞ!」

「大丈夫です、先輩。あと30秒待って下さい」


それを聞いた俺はがむしゃらに暴れて抵抗する。
冗談じゃない、こんなところで諦めてたまるか。


「なっ……30秒も待てるか! 俺には行かねばならんところがあるのだ!」


さらに全身を使って抵抗を試みた瞬間、俺の体がぐるりと180度回転し、彼女と正対する格好になった。
そして彼女の双眸は、俺の目を射抜きながら一言だけ命令した。


「いいから待ちなさい、オレンジ」


誰にも抵抗されることのないであろうその言霊。
そうか、彼女はエスパーだったな……畜生、俺は課題を出せない運命にあるのか。
それを悟った俺はへなへなと地面にへたり込み、彼女を見上げる。
その時だった。


「おーいナツメ、実験の準備は出来たか? って、お前はオレンジじゃないか」


開きっぱなしのドアから理科の先生が現れたのである。
もちろん残り時間はもうほとんど残っていない。
これを好機とばかりに、俺はレポートを持った右手を力いっぱい先生へと伸ばした。


「む……これはレポートか。……午後17時28分34秒レポート受理っとな」


先生は俺の手からレポートを受け取ると、胸ポケットからメモ帳を取り出してサラサラと走り書きをした。
そして先生がメモ帳をしまったのを確認すると、ナツメと呼ばれた子は無表情のまま状況を説明する。


「先輩があのまま職員室へと走っていたら、隣の準備室にいた先生と入れ替わりになってしまうところだったんです。
 手荒い引き止め方ですみませんでした」


は、ははは。
あのまま走っても先生にレポートは渡せなかったのか。
いやぁ……良かった良かった……




これが超能力少女、ナツメちゃんとの出会いだった。






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